西日本豪雨災害(2018.7.7)
東日本大震災(2011.3.11)
2011.3.11 を忘れてはいけない
大阪だけでも公的援助のほとんどない、福島から自主避難の親子が450人いると聞いています。
大阪にいると子どもを外で遊ばせることができる、、、、でも郷里でがんばるお父さんのことを考えると、家族離れ離れの選択が正しいのかどうかと、いつもお母さんたちは揺れています。
2013.9
クレオ大阪中央「避難ママ支援~大坂で一緒にできること~」https://www.facebook.com/junko.ishi/posts/474720849288029 (2013.7.7)
私の所属しておりますNPO法人日本フラワーハートセラピスト協会がNPO法人日本心理療法士協会とともに、6月24日(金)~26日(日)に、3月11日の東日本大震災の被災地、宮城県にて、ボランティア活動を行いました。>>>
生花を用いたアレンジメントのフラワーハートセラピー、花育、子どもアートセラピー、傾聴ボランティアなど、そして仮設住宅にミニバラのお届けをしました。初日、女川町に向う車中で、一変した車外の風景に静まり返ったボランティアスタッフも、避難所のみなさまが喜んでくださった笑顔にパワーをいただき、3日間全ての予定を実施できたとのことです。(2011.9.17)
東北地方も梅雨明けとか・・・?まだまだ進まない復興と原子炉の後処理ですが、最前線の現場の方々のご努力は図りしれません。ますますこれから暑い日々、先は長いので、どうかみなさまお体ご自愛ください。(2011.7.10)
私は1995.1.17の早朝の阪神淡路大震災の時、兵庫県西宮市で被災しました。息子は1歳10ヶ月でした。津波はなかったし、家も家族も無事でしたが、ライフラインと交通網の閉ざされた、情報のない余震の続く地域で、ガス漏れや火事におびえながら、聞こえてくるのは緊急自動車のサイレンとヘリコプターの音。眠れない、食べれない、笑えない日々に神経が参ってしまい、家の片づけが済み最寄り駅まで電車のピストン運転がはじまると、1週間ほどで大阪の実家に避難しました。電車でたった15分の大阪にはまったく普通の日常があり、街には音楽があり、ゲームセンターも映画館も営業し、バーゲンもしています。まともにお風呂にさえ入れなかった私たちには別世界でボーゼンとしたことを思い出します。
大阪に居ても、神戸方面に向かう緊急自動車のサイレンはつきまとい神経は高ぶったままでしたので、しばらく主人の実家の愛知県に息子と共にのがれました。少しづつ季節も春に、ぽかぽかした日差しや、田舎の自然にふれたことは癒しとなりましたが、少しの揺れや閉鎖的な場所での人ごみには怯えつづける日がつづいたのでした。
まだまだ寒い東北地方の方々の今の状況は、元気で助かられた方々にますます厳しく、はかりしれ無いものがあります。一日でも早く体にも心にも暖かい日が来て欲しいです。(2011.3.17)
Webより抜粋
*校内にいた生徒全員が無事に避難した学校「岩手県釜石市の釜石東中学校」教師や生徒はどう行動したのか(2011.8.13)
*賛否両論 村上春樹(2011.6.11)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110611-00000002-jct-ent
*清水国明「ちょっと過激な意見です。」
*「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」(2011.3.24)
*大阪府が2千戸提供 公立高で3千人受け入れ(2011.3.16)
*東大生協に貼ってあった(2011.3.15)
*計画停電じつは凄いことをやってくれている?
*応援メッセージ